2013年1月アーカイブ

米国の銃規制の話。

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もともと銃が厳しく規制されている日本に住む身にとっては「なんでそんなことに時間がかかるんだ。さっさとやめれば良いのに」と一瞬そう思ってしまいますが、実はこれは非常に難しい問題。
現に今隣に住んでいるやつは銃を持っている。てな状態で「明日から全員でやめましょう」て言ってもそれを誰が保証してくれるのか。撃たれてからでは遅いですからね。もし自分だけが銃を放棄したとして、そのあとに銃口を向けられたらと考えると。。。
で、ここからは宣伝なのですが、僕がやってるパブリックリレーションズというのはこういう状況で効果を発揮する考え方なのです。
銃規制などなどでお悩みの大統領の方、その他同様のお悩みをお持ちの方はぜひお声がけください。
何もしないやつがいちばん偉くなる減点主義の国・日本の組織。だけど、たまに組織全体を救うような飛び抜けた才能をもった人間が出てくる。
そういう人間が出てくると、そいつを引き摺り下ろすためにあれこれしようとするいじめグループが出てきて、そのいじめグループのボスが偉くなる。のだそうな。
歌舞伎役者でミュージカルの名手でもある松本幸四郎さんは、歌舞伎とミュージカルを「水と油」と表現されています。
これは歌い踊り演技するという同じ要素を含んだ両者ではあるが、その作法や「良いとされること」は真逆だといういうことなのだろうと思います。
PR会社でウェブを専門領域にしている身にはなんだか非常によくわかる話だな。
「ドラマ」だと許せることがなぜ「ニュース」だと許せなくなるのだろうと考えた。
「バラエティ」だったら?「ドキュメンタリー」だったら?
いろいろ考えると、「これはフィクションです」という宣言よりも「これはガチです」という暗黙の了解的なモノの存在感が案外大きいことに気づく。

僕がこんなことを考えるようになった背景には「これがガチなはずないでしょ」という暗黙の世界観を強烈に強要する、米国のプロレスに親しんできたことがあるかもしれません(今では米国のプロレスは「これはフィクションです」と宣言しているけれども)。
これは、たとえば誰かが自身のブログでおすすめ商品を紹介するときにいかに振る舞うのが良いかという話にもつながっているかもしれないと思うのです。
ドラマのエンドロールで「衣装協力」としていくつかのブランドの名前が並んでいること、その後に「提供」としていくつかのブランドの名前が表示されること・・・とか。

ドラマは八百長ではないがプロレスは八百長だと主張する人は多い。
この場合、その人はドラマをどういうモノだと考えていて、それはどういう情報があらかじめ与えられている(あるいは与えられていない)ことによるものなのか?プロレスをどういうものだと考えていて、それはそれはどういう情報があらかじめ与えられている(あるいは与えられていない)ことによるものなのか?
あるブログの中にそういう人が言うところのガチのエントリとヤオのエントリが混在しているとして、そのことについてのどういう情報がどのような形で提供されていればいいのか?

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